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五 神は、アダムとエヴァを罰せられた




 アダムとエヴァがこのようにして、「食べてはいけない」と言われていた木の実を食べたあと、とつぜん、神さまのお声が聞こえたので、二人はあわてて木の陰にかくれました。

 神さまは、「アダムはどこにいるか」とおっしゃいました。アダムは恐ろしさにふるえながら、「ここです。私はあなたのお声を聞いたので、驚いてかくれたのです」と答えました。

 すると神さまはきびしい調子で、「おまえは、私が食べてはいけないと言っておいた木の実を。食べたのではないか」とおとがめになりました。アダムは仕方なく、「女が私にすすめたので食べました」と弁解しました。

 そこで神さまは。こんどはエヴァに、「おまえはなぜそのような事をしたのか」とおたずねになりました。エヴァは恐る恐る「へびに欺されて食べました」と答えました。

 これを聞いた神さまは、エヴァに対しておごそかに言われました、「おまえは、私がいけないと言っておいた木の実を食べたのだから、その罰として、これから、子供のためにいろいろの苦労をしなければならない」そしてアダムにはこう言われました、「おまえは私の戒しめを破ったのだから、地はおまえのためにのろわれたものとなり、おまえは、自分がとられた土に帰るまで、ひたいに汗を流して食べ物を求めて働かねばならない。おまえはちりであるから、ちりに帰れ。」

 こうして神さまは、アダムとエヴァにけものの皮を着せ、楽園から追い出し、二度と入ることのできないように、その入り口に天使をつけて守らせなさいました。


一 神さまはどこにいらっしゃいますか?

 
神さまはどこにでもいらっしゃいます。このことを「神の遍在」といいます。神さまはどこにでも、おられぬ所はありませんが、人間のような姿がありませんから、私たちは目で神さまを見ることはできませんし、耳で聞くことも手でふれることもできません。



二 神さまはどのくらい知っていらっしゃいますか?

 
神さまは何でも知っておられ、神さまの知らないということは、何一つありません。私たちの心の中まで、私たち以上にみなご存じです。このことを、「神の全知」といいます。



三 神さまは大罪の罰として、何をお与えになりますか?

 
神さまは大罪を犯した人を、死んでから地獄へ落とされます。



四 神さまは小罪の罰として、何をお与えになりますか?

 
神さまは小罪を犯した人を、死んでから煉獄へ入れられます。

 しかし神さまは、私たちが生きている間でも、いろいろさまざまなわざわいに会わせて、罪を罰せられることもあります。



五 神さまはいつも私たちのことを、全部見ておられます。神さまには何も隠すことはできません。それから、罪よりも恐ろしいものはないこと、この二つをいつも忘れてはなりません。


   原罪と救い主


 アダムののちに生まれた人間は、みな、アダムの罪とその結果を受けついでいます。この、アダムから伝わった罪を原罪といいます。原罪の汚れを受けておられないのは、ただ、聖母マリアさまだけです。人間は原罪のために、いろいろな不幸にせめられることになりました。まず、人間はみな原罪のために、成聖の恩恵を持たないで生まれてくるのですから、生まれたままでは、神さまの愛子となることはできず、従って天国に入ることもできません。また、だれの心の中にも、原罪のために悪い欲の芽がありますから、この世ではいろいろの苦労をして、やがては死んでゆかなければならないのです。

 神さまは人間がこうなったことを、哀れに思われ、わがて救い主をつかわすことをお約束なさいました。人間は長い間、この約束された救い主のこられるのを待ちました。

 一方、アダムとエヴァの二人は、自分たちが神さまにそむいたことを心から悔やんだので、その罪は赦されました。



一 救い主はまた救世主ともいいます。


二 神さまは、すべての人間の罪を赦そうと思っておいでになりますか?

 
神さまは、すべての人を赦したいと思っておいでになります。 ですから、神さまは「哀れみ深い」おかたです。

 神さまから赦していただくためには、自分の罪を、心から悔やまなければなりません。このことを痛悔といいます。痛悔した上で正直に告白し、さらに、二度とその罪を犯すまいという決心をしなければなりません。



三 毎年12月8日は、聖母の無原罪のおんやどりの祝日です。この日は、マリアさまが原罪の汚れを受けなかったことを記念する祝日です。



四 主祷文に、「
われらが人に赦すごとく、われらの罪を赦したまえ」というお祈りがあります。これは、「天のお父さま。私も、自分に悪いことをした人を赦してあげますから、どうか私の罪をお赦しください」という意味です。



五 痛悔の祈りとよい決心

 イエズスさま。私はいろいろの罪を犯して、あなたのみ心を悲しませてきました。あなたはどんなに私の罪をお嫌いになり、きびしく罰せられることでしょう。 
 それなのに救い主イエズスさま。あなたは私を心から愛してくださり、私の犯した罪の償いのために、十字架の上で恐ろしい苦しみをお受けになりました。イエズスさま、どうぞ私の罪をお赦しください。私は自分の罪を心から悔やみ、あなたにおわびをいたします。もうこれからは決して悪いことはしませんし、罪にさそわれることもいたしません。イエズスさま、どうぞ私を哀れんで、犯した罪をお赦しください。




六 主祷文の一番最後に、「われらを悪より救いたまえ」と祈ります。これは、「天のお父さま。私たちの霊魂とからだに害を加えるすべての悪いことから、どうぞ私を救ってください」という意味です。


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